
Author:ki4_zou
アタラシもの&車好きのテクニカル・ライター。「伝える」と「伝わる」、「わかった喜び」を考えながら、日々テクニカル・コミュニケーション&タイムドメインスピーカーを手にしたチューニング・製品開発に精進しています。

「良感」って聞いた事がない言葉ですよね。
それもそのはず、何しろ勝手に作らせていただいた言葉ですから。
きっかけは、イタリア語の"simpatico"(aは`付)という言葉。
伊日辞書では「いいかんじ」になるのですが、巷で使われている「イー・カ・ン・ジ」とは、ちょっとニュアンスが違います。イタリア人は、見た目の善し悪しだけでなく、内面的な好感や親しみをこめて使っています。そんな言葉と「イー・カ・ン・ジ」を区別して使いたいと思い、「良感」と表現した次第です。
このブログでは、そんな好感や親しみの持てる言葉/話/物/人を取り上げて、人々に本当に役立つ話題や、世の中が朗らかになる話題を書き留めています。昨今殺伐とした社会生活が、少しでも明るくなり、人々が仲良く共生できるようになればと願っています。
※ブログページ内および記事中の商品名・写真には、広告バナーおよびアフィリエイトリンクを含んでいます。
それもそのはず、何しろ勝手に作らせていただいた言葉ですから。
きっかけは、イタリア語の"simpatico"(aは`付)という言葉。
伊日辞書では「いいかんじ」になるのですが、巷で使われている「イー・カ・ン・ジ」とは、ちょっとニュアンスが違います。イタリア人は、見た目の善し悪しだけでなく、内面的な好感や親しみをこめて使っています。そんな言葉と「イー・カ・ン・ジ」を区別して使いたいと思い、「良感」と表現した次第です。
このブログでは、そんな好感や親しみの持てる言葉/話/物/人を取り上げて、人々に本当に役立つ話題や、世の中が朗らかになる話題を書き留めています。昨今殺伐とした社会生活が、少しでも明るくなり、人々が仲良く共生できるようになればと願っています。
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「寺子屋」というと江戸時代の個人塾もしくは小学校程度の認識でしたが、「江戸しぐさ」の本を読むと、もっといろいろな機能を持ったしくみであることを知りました。
江戸の町は、町人の約8割が商人(自営業等)で、自分の子供の面倒はあまり見られなかったそうです。その代わりを寺子屋に託していたので、寺子屋の講師は親代わりとなって子供のしつけや学問を教えていったそうです。今で言うなら親のように親身になってくれる先生のいる(保育園×小学校)といったところでしょうか。
現代ではしつけは親、学問は学校となっていますが、しつけまで学校や保育園に頼る親がいて、いろいろ問題が起きています。実際フルタイムの共働き夫婦で子供の面倒まで100%みるのは無理があると思いますが、その点江戸の寺子屋は役割がはっきりしていて機能的なしくみだと思いました。
また、寺子屋は、金持ちの子供だけ行けるものではなく、地域の子供なら誰でも入れたそうです。たとえ親が授業料を払えなくても拒否されることはなく、払える大人が払うといった感覚だったようです。
現代なら払った親から不公平だと苦情が来そうなものですが、もちろんそんなことなどなく、将来の江戸を支える子供は地域の大人が育てるものという考えが定着していたようです。だから自分の子供も他人の子供も分け隔てなく、しかったり、見守ったり、支えたそうです。
現代の収入があるのに給食費を払わない親なんて、江戸では笑い者でしょうね。
今はめったにいない近所の雷親父も江戸の習慣の名残だったわけです。
そして江戸では地域の大人が見守るのが当たりまえだったと聞くと、最近の「登下校時間に散歩して子供を見守ろう」という運動は、社会の暮らしに必然的な習慣が少し戻ってきたのかなと思います。
また町内会は若い世代に敬遠されがちですが、祭りで子供神輿の世話を焼いてくれる地元の方を見ると、まさに地域の子供たちのために「傍楽(はたらく)」をしているわけで、子育て中の親として尊敬の念を感じるようになりました。
現代の通り魔や幼児虐待、学級崩壊などのニュースを見ると、親だけで子育てするのは無理があり、地域の大人が関わることが必然のように思います。それは、自分の子供を他の大人にしかってもらうことだけでなく、自分も地域の子供に気を配り、支えたり、声をかけて、かかわって行くことが必要なんだと思います。
(でも最近は不審者扱いされてしまうかもしれないので、なかなか住み難い社会です。)

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江戸の町は、町人の約8割が商人(自営業等)で、自分の子供の面倒はあまり見られなかったそうです。その代わりを寺子屋に託していたので、寺子屋の講師は親代わりとなって子供のしつけや学問を教えていったそうです。今で言うなら親のように親身になってくれる先生のいる(保育園×小学校)といったところでしょうか。
現代ではしつけは親、学問は学校となっていますが、しつけまで学校や保育園に頼る親がいて、いろいろ問題が起きています。実際フルタイムの共働き夫婦で子供の面倒まで100%みるのは無理があると思いますが、その点江戸の寺子屋は役割がはっきりしていて機能的なしくみだと思いました。
また、寺子屋は、金持ちの子供だけ行けるものではなく、地域の子供なら誰でも入れたそうです。たとえ親が授業料を払えなくても拒否されることはなく、払える大人が払うといった感覚だったようです。
現代なら払った親から不公平だと苦情が来そうなものですが、もちろんそんなことなどなく、将来の江戸を支える子供は地域の大人が育てるものという考えが定着していたようです。だから自分の子供も他人の子供も分け隔てなく、しかったり、見守ったり、支えたそうです。
現代の収入があるのに給食費を払わない親なんて、江戸では笑い者でしょうね。
今はめったにいない近所の雷親父も江戸の習慣の名残だったわけです。
そして江戸では地域の大人が見守るのが当たりまえだったと聞くと、最近の「登下校時間に散歩して子供を見守ろう」という運動は、社会の暮らしに必然的な習慣が少し戻ってきたのかなと思います。
また町内会は若い世代に敬遠されがちですが、祭りで子供神輿の世話を焼いてくれる地元の方を見ると、まさに地域の子供たちのために「傍楽(はたらく)」をしているわけで、子育て中の親として尊敬の念を感じるようになりました。
現代の通り魔や幼児虐待、学級崩壊などのニュースを見ると、親だけで子育てするのは無理があり、地域の大人が関わることが必然のように思います。それは、自分の子供を他の大人にしかってもらうことだけでなく、自分も地域の子供に気を配り、支えたり、声をかけて、かかわって行くことが必要なんだと思います。
(でも最近は不審者扱いされてしまうかもしれないので、なかなか住み難い社会です。)


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